今度はまた面白い本を読んでいます。
15大同族企業という本です。トヨタ、松下電器を始め様々な同族企業を取り上げた一冊です。
企業間の関係というのは、なかなか覚えられなかったの僕なのですが、これを読んでいるとどんどん覚えていってしまいます。それと同時に時代の流れもうまくつかみ取ることができて面白いです。
今回は松下幸之助が生み出した、松下電器を紹介したいと思います。
松下電器は現在パナソニックになっていますが、ここまでの道のりを紹介します。
松下電器の生みの親は、超有名人の松下幸之助です。彼は、
・販売の神様
・経営の神様
などと呼ばれていました。
すばらしい経営をしてきたのですが、その中でも特に大事になってくるのが事業部制の発明です。これは独立採算制を各事業に持たせて、権限と責任を移譲するものです。これにより、優秀な経営者がたくさん出たそうです。
現在も事業部制は存在し続けているもので、大変な功績といえるでしょう。
もともとは、松下電器製作所から始まりました。義弟である井植歳男とともに創業しました。当時はいいものは売れるといい、相当な売り上げを出していたようです。
第2次世界大戦後は、井植歳男は三洋電機の創業者となるのです。もともとは身内だったんですね。もちろん知っていると思いますが、のちに合併吸収されます。
これから紹介していく同族企業は、基本的に巨大組織なので、だいたい財閥とみなされてしまいます。そのため、GHQの財閥解体の対象になってしまうのです。
そのために、どの企業も事業を分割して、子会社化を図り1社1事業の形をとることになります。
松下電器産業の場合は、
・松下無線
・松下乾電池
・松下電器
・松下電熱
・松下電器直売
以上のように別れました。
第2次世界大戦といえば、軍需です。戦争による需要があったため、非常に売り上げが伸びました。しかし当然のことながらのちに売り上げはなくなり解体されることになります。
GHQには松下幸之助が50回以上出頭し、財閥解体を免れたという話があります。そこで、財閥家族指定、制限会社指定解除されることになりました。
ですが、軍需がなくなり、松下造船、松下飛行機、松下金属は解体されました。ここらへんのタイミングで井植歳男も松下を離れ三洋電機を創業することになります。
軍需が終われば、みなさんご存知三種の神器の登場です。家電といわれるものが誕生しブームになります。ここでは一気に市場が拡大していくのです。
市場が拡大する、といことは参入企業が一気に増えるということです。そこでの松下の開発は常に後手後手に回っていたそうです。開発が遅かったんですね。
しかし、圧倒的な販売力が企業の売り上げを押し上げていました。されには、他企業の製品の改良版を出すことでよりよい製品を市場に送り込んでいたのでした。そのためしばしばいわれていたのが
・2番手商法
・ソニーは松下のモルモット
・マネシタ電器
などだそうです。
私の時間の都合上、内容が一気に飛んでしまうのですが、パナソニックになったのは2008年です。
中村邦夫の後継社長である、大坪文雄によって、社名がパナソニックになりました。
社長の名前からわかるとおり、同族の特徴である世襲制をぶっ壊したのです。
それと同時に、松下の名からの決別という意味と、「全・汎」を表すPAN
「音の」を示すSONICを組み合わせた造語から、パナソニックになりました。
これは公募から選ばれたものだといわれています。
だいぶ端折ってしまいました。
あとは、関係企業の紹介をします。
まずは、松下電器産業の時代に、日本ビクターに出資をしています。
2009年ごろにパナソニックは、三洋電機を経営統合しています。
松下電池工業と、電子工業が統合して、パナソニックエナジー社に。
松下通信工業が、パナソニックモバイルコミュニケーションズになっています。
松下電工がナショナル住宅建材とパナソニック電工になり、建材がパナホームになります。
このように”松下”をすべての関係会社で、パナソニックと改名することになっています。
ちょっと雑な内容になってしまいましたが、次回は阪急電鉄について書いてみたいと思います。これまたおもしろい。お楽しみに。
キーワード:
第2次世界大戦/軍需/パナソニック/事業部制/財閥解体/松下幸之助/井植歳男/大坪文雄
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