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2011年12月29日木曜日

サボりすぎました。

久しぶりに書きます。

なんでこんなサボったのか。正直、普通に忙しかった時期が1ヶ月続いて、その後も書かないということが継続されたのです。



で、 明日かな?

たぶん一年を振り返ったり、来年の抱負を考えながら掃除し、これに書き留めて起きます。


来年度は社会人ですし、気持ちの整理もいろいろとしておかねばならないと思っています。


年末なので、皆さん忘年会がたくさんあったのではないでしょうか。僕は、そこそこありました。

ここ2年くらいは地元のみんなと遊ぶ機会が増えたので、とっても楽しい年だったなと思います。そこらへんの友達が結婚した暁には暴れまわる所存でございます。楽しみです。








さて、たぶん駄文になるうえに長くなると思います。そしてつまらない内容になるで読み飛ばしてみてください。どうせ後でわかりやすく書き直すので。



近況報告としては、会社の課題と卒論、友人と遊ぶの3つが主なやることです。中でも卒論はやっぱり難関で、なかなか頭を悩ませてくれています。

僕が早く出会いたかったのは、「行動分析学」です。やっといまさら、4年の12月になってようやくその存在を知りました。これは病み付きになります。

ずっと、動機付け、モチベーション理論の穴を感じていた僕にはぴったりのないようです。まさに考えていたことをキレイに言語化し整理してくれていました。

これをしっていたら、2年生の夏はもっと効率よくゼミに生かせたし、自分の行動、人の行動もうまく変容させることができたのではないかと、そう思っています。ゼミの活性化に必要な存在になれていたのではないかと。

でも、これをしっかり勉強して、将来のマネジメントに活かせるので良しとしましょう。興味ある方はぜひ行動分析学で検索して、調べてみてください。テキストは高いですが、ネット上の情報はかなり不足しているので、購入したほうがいいでしょうね。

僕みたいなすごく理屈くさいタイプの人間にはお勧めです。そうじゃなくて、感覚的な、やる気だ、根性だという人には向いていません。受け入れられないでしょうね。

基本的には、「行動」を中心において、理論展開していくため、ぶっちゃけ人間もペットも同じなのです。いわゆる生物であれば、「死人」にはできない行動ができればすべて適用できるのです。


そのため、たくさんの事例があるのですが、自閉症や、多動性障害、手足が動かせない人、精神科が治せなかった症状など様々なものを解決、治療しているのです。


これは心理学から派生した一派なので、僕のゼミにも大いに関係があります。僕が感じていたことは、行動を起こす際に、欲求はそれほど関係ないのではということです。


もちろん欲求の大小はあると思います。尺度を使うとなれば、正確ではなくとも多少比べることができるようになるでしょう。しかし、欲求がいくらあってもやってはいけないこと、やれないことが当然のようにあります。

その際の行動は、いったい何が最終決定をしているのでしょうか。欲求だけでは説明ができないのです。やりたい、けどそれより先にやらねばならないことがある、そんなことばかりでしょう。



さて、どう疑問を感じたのか。それは、「欲求」というワードにおかしさを感じたのです。欲求の正確な定義はおいておきます。僕がどう感じたのか。それはプラスの要因、ポジティブ要因、行動を促すものであるという漠然としたイメージがありました。


それなのに、やりたいことがあるのにそれを阻害する何かがある。ゲームをしたいのに、明日のプレゼンの練習をしなければならない。

このケースにおいては、達成動機や、失敗を回避したいがための欲求が働くと考えられるのです。


「本来やりたいことがあった」。これを明らかに阻害しているのが、プレゼンの準備です。欲求の関係ではなく、阻害しているものがあるという考えからどんどん僕の考えは深まっていったのです。

もちろん、この考え方には穴だらけで、達成動機はネガティブではないし、「~したい」という語形で表現できるものはなんでも欲求であるといえるのかもしれませんし。



しかし、どうにもネガティブ要因を求めるとは考えにくいのです。私たちは動物です。本能がどのように作用しているのか、それはまだ勉強できていないのですが、今のところのイメージでは、自分にとってよいこと、プラス要因だけを求め行動が生起すると考えています。


そのため、なにが行動を制御させるのかというと、欲求ではない、環境要因が働くのであろうと思いました。つまり周りの人の言動や、職場環境のような物理的な問題がその人の行動を形成しているのであろうと思ったのです。


人格とはべつに、「行動」に直接作用するというのが「行動分析学」の考え方です。心の問題で片付けないのがこの学問です。ここが大変すばらしいと感じたのです。

いわゆる心の問題、これでかたづけるのが「医学モデル」というものです。風邪をひいたとき、体内にある菌などが原因で、症状として現れてきます。これにならい、心に問題があるから、そのような行動をとってしまうのだ、という考え方が医学モデルです。


これが危険、というか腑に落ちない原因で、最終的にはすべて心の問題で落ち着いてしまうのです。これは考えた最終的な結果が同一のものになりがちであり、解決に至らないのです。そして、人の心などというあいまいな、形のわからないものに振り回され、なにもわからないまま終わってしまうのです。

考えても見てください。その人自身はほとんど何も変わっていないのに、行動が変容することは往々にしてあります。そもそも行動パターンが増えただけで、選択肢をいままでとは違うのを選んでみただけの差なのです。行動の可能性なんていくらでもあるのです。


そう簡単に人格は変わりません。そのかわり簡単に行動は変容していきます。よく人に影響されることはあるでしょう?

たとえば、僕の場合なんかは、かわいい顔文字とか使われるとぼくも頻繁に使うようになります。これだけで、人格や性格がかわったと表現されるでしょうか。まずそれはないでしょう。0%ではないと思いますが。


この場合なにが影響したのかといえば

顔文字を見る → かわいい、安心する、おもしろいなどの感情がおきる 

この感情が行動を変えるのです。つまり顔文字をみたことで、(このケースでは)プラスの感情を受けるのです。それまでは顔文字を見てなかったのですが、見ることでプラスに感情が変わるので、実際には顔文字をみるという行動が強化されていきます。


それにより、刺激され、顔文字を使うという行動パターンが形成されます。そして利用していくことでしだいに、顔文字を使うという行動パターンの強化が行われていきます。


ちょっとわかりにくいかもしれないですね。来年は卒論を進めつつわかりやすく説明していこうと思っています。


図を使うととてもわかりやすいので。





で、これから忘年会です。高校時代の友達と久しぶりに会います。4年ぶりですね。きまずっwww
とりあえず誘われたくらいだから問題ないと思うけど!!