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2011年12月29日木曜日

サボりすぎました。

久しぶりに書きます。

なんでこんなサボったのか。正直、普通に忙しかった時期が1ヶ月続いて、その後も書かないということが継続されたのです。



で、 明日かな?

たぶん一年を振り返ったり、来年の抱負を考えながら掃除し、これに書き留めて起きます。


来年度は社会人ですし、気持ちの整理もいろいろとしておかねばならないと思っています。


年末なので、皆さん忘年会がたくさんあったのではないでしょうか。僕は、そこそこありました。

ここ2年くらいは地元のみんなと遊ぶ機会が増えたので、とっても楽しい年だったなと思います。そこらへんの友達が結婚した暁には暴れまわる所存でございます。楽しみです。








さて、たぶん駄文になるうえに長くなると思います。そしてつまらない内容になるで読み飛ばしてみてください。どうせ後でわかりやすく書き直すので。



近況報告としては、会社の課題と卒論、友人と遊ぶの3つが主なやることです。中でも卒論はやっぱり難関で、なかなか頭を悩ませてくれています。

僕が早く出会いたかったのは、「行動分析学」です。やっといまさら、4年の12月になってようやくその存在を知りました。これは病み付きになります。

ずっと、動機付け、モチベーション理論の穴を感じていた僕にはぴったりのないようです。まさに考えていたことをキレイに言語化し整理してくれていました。

これをしっていたら、2年生の夏はもっと効率よくゼミに生かせたし、自分の行動、人の行動もうまく変容させることができたのではないかと、そう思っています。ゼミの活性化に必要な存在になれていたのではないかと。

でも、これをしっかり勉強して、将来のマネジメントに活かせるので良しとしましょう。興味ある方はぜひ行動分析学で検索して、調べてみてください。テキストは高いですが、ネット上の情報はかなり不足しているので、購入したほうがいいでしょうね。

僕みたいなすごく理屈くさいタイプの人間にはお勧めです。そうじゃなくて、感覚的な、やる気だ、根性だという人には向いていません。受け入れられないでしょうね。

基本的には、「行動」を中心において、理論展開していくため、ぶっちゃけ人間もペットも同じなのです。いわゆる生物であれば、「死人」にはできない行動ができればすべて適用できるのです。


そのため、たくさんの事例があるのですが、自閉症や、多動性障害、手足が動かせない人、精神科が治せなかった症状など様々なものを解決、治療しているのです。


これは心理学から派生した一派なので、僕のゼミにも大いに関係があります。僕が感じていたことは、行動を起こす際に、欲求はそれほど関係ないのではということです。


もちろん欲求の大小はあると思います。尺度を使うとなれば、正確ではなくとも多少比べることができるようになるでしょう。しかし、欲求がいくらあってもやってはいけないこと、やれないことが当然のようにあります。

その際の行動は、いったい何が最終決定をしているのでしょうか。欲求だけでは説明ができないのです。やりたい、けどそれより先にやらねばならないことがある、そんなことばかりでしょう。



さて、どう疑問を感じたのか。それは、「欲求」というワードにおかしさを感じたのです。欲求の正確な定義はおいておきます。僕がどう感じたのか。それはプラスの要因、ポジティブ要因、行動を促すものであるという漠然としたイメージがありました。


それなのに、やりたいことがあるのにそれを阻害する何かがある。ゲームをしたいのに、明日のプレゼンの練習をしなければならない。

このケースにおいては、達成動機や、失敗を回避したいがための欲求が働くと考えられるのです。


「本来やりたいことがあった」。これを明らかに阻害しているのが、プレゼンの準備です。欲求の関係ではなく、阻害しているものがあるという考えからどんどん僕の考えは深まっていったのです。

もちろん、この考え方には穴だらけで、達成動機はネガティブではないし、「~したい」という語形で表現できるものはなんでも欲求であるといえるのかもしれませんし。



しかし、どうにもネガティブ要因を求めるとは考えにくいのです。私たちは動物です。本能がどのように作用しているのか、それはまだ勉強できていないのですが、今のところのイメージでは、自分にとってよいこと、プラス要因だけを求め行動が生起すると考えています。


そのため、なにが行動を制御させるのかというと、欲求ではない、環境要因が働くのであろうと思いました。つまり周りの人の言動や、職場環境のような物理的な問題がその人の行動を形成しているのであろうと思ったのです。


人格とはべつに、「行動」に直接作用するというのが「行動分析学」の考え方です。心の問題で片付けないのがこの学問です。ここが大変すばらしいと感じたのです。

いわゆる心の問題、これでかたづけるのが「医学モデル」というものです。風邪をひいたとき、体内にある菌などが原因で、症状として現れてきます。これにならい、心に問題があるから、そのような行動をとってしまうのだ、という考え方が医学モデルです。


これが危険、というか腑に落ちない原因で、最終的にはすべて心の問題で落ち着いてしまうのです。これは考えた最終的な結果が同一のものになりがちであり、解決に至らないのです。そして、人の心などというあいまいな、形のわからないものに振り回され、なにもわからないまま終わってしまうのです。

考えても見てください。その人自身はほとんど何も変わっていないのに、行動が変容することは往々にしてあります。そもそも行動パターンが増えただけで、選択肢をいままでとは違うのを選んでみただけの差なのです。行動の可能性なんていくらでもあるのです。


そう簡単に人格は変わりません。そのかわり簡単に行動は変容していきます。よく人に影響されることはあるでしょう?

たとえば、僕の場合なんかは、かわいい顔文字とか使われるとぼくも頻繁に使うようになります。これだけで、人格や性格がかわったと表現されるでしょうか。まずそれはないでしょう。0%ではないと思いますが。


この場合なにが影響したのかといえば

顔文字を見る → かわいい、安心する、おもしろいなどの感情がおきる 

この感情が行動を変えるのです。つまり顔文字をみたことで、(このケースでは)プラスの感情を受けるのです。それまでは顔文字を見てなかったのですが、見ることでプラスに感情が変わるので、実際には顔文字をみるという行動が強化されていきます。


それにより、刺激され、顔文字を使うという行動パターンが形成されます。そして利用していくことでしだいに、顔文字を使うという行動パターンの強化が行われていきます。


ちょっとわかりにくいかもしれないですね。来年は卒論を進めつつわかりやすく説明していこうと思っています。


図を使うととてもわかりやすいので。





で、これから忘年会です。高校時代の友達と久しぶりに会います。4年ぶりですね。きまずっwww
とりあえず誘われたくらいだから問題ないと思うけど!!

2011年11月11日金曜日

『資本論』の前に #4

こんにちは、今日は宣言通り次の2点について書いていこうと思います。
  • 貨幣から紙幣へ
  • 金本位制

前回のエントリーで、貨幣の発生には触れました。
金も、もともとは商品だったんですね。それが、歴史が進むにつれて、貨幣になったんです。金はもとから貨幣ではなかったんですが、貨幣はもとから金だったというわけです。歴史の中で貨幣という地位を金や銀が獲得していきました。



  • 貨幣から紙幣へ
貨幣は使用しているうちに摩滅し、名目上の量ではなくなる。実質的な価値と名目上の価値が分離する。だから紙幣で代用できる。紙幣は『記号』になる。
紙幣は金の記号または貨幣の記号である。【中略】紙幣は、ほかのすべての商品量と同様に価値量である金量を代表する限りでのみ、価値の記号である。
貨幣は商品価格の一時的に客観化された反射であるから【中略】週周の記号によって代替されることもできる。



いくら金や銀が頑丈だからといって、全く減らないってことはない。汚れたり削れたりしていきます。そもそも当時は金の『量』で交換をしていたんです。重さが単位になっているのです。ですが、少しずつ擦り減っていくことで、1kgあった金が0.9kgになっているかもしれません。しかし、貨幣となっている金としては、1kgの価値としてそこに存在するわけです。



するとどうでしょう、実際の量は0.9kgなのに、名目上では1kgの価値があり、0.1kgの差が生じてきます。となれば、実際の金の重さなんて関係なく、貨幣を発行しますよね。ずれてしまっているものはしょうがない。それがどんどんすすみ、貨幣の重さは軽くなるが、価値はそのままということで、お金の金額というのが『記号化』していったわけです。



さらに、常に持ち歩くには重い金。もっと便利にと、紙がでてきます。兌換紙幣というもので、いつでも金と交換できますよという紙。これのおかげで金を持ち歩かなくてすみます。



金1gと交換できる紙をもって、出かけましょう。何か小物でも買いましょうかね。そこで、金1gと交換できる紙をお店に渡します。そうすると、金と交換できる権利はお店にうつりますね。それが出来るのは、いつでも金と交換できるという環境が整っているからです。




この環境というのは、お金持ちの人が『両替商』として、その人からお金を預かり、預かり証を代わりに渡します。お金なんて重いものを持たなくても買い物が出来るので、遠くに行くのも楽になります。この銀行のような役目をしてくれる人がいたから実現したんですね。



まあ悪い奴がいるもんで、金を持ってなくても紙を発行してあげちゃえばいいじゃんという輩が出てくるわけです。ある程度流通したところで、誰かがそれに気づいてしまいます。誰かにばれるのが世の常です。



そして、あそこはやばい!とみんな回収し始めると、みんなに返せるほどの金量が両替商の手元になく、破たんします。そして、その不信が波及して金融不安へとむかいます。不安っていうのは怖いですね。オイルショック時にはペーパーの高騰や、豊川信用金庫事件も同じようなもんでしょう。



今日では、紙幣を発行できるのは日本銀行だけですよね。その背景には上述のものがありました。





  • 金本位制
金本位制は多少説明しました。金を通貨として流通させることですね。wikiによると、上で説明したのは金地金本位制というものらしいですね。初めて聞きました。

金は希少ですよね。当然量が多くないです。となれば貨幣として出回るには限界があります。どんなに量を減らしてもです。そこで、金の量を関係なく紙幣を発行していくことで、この金本位制が崩壊します。



第2次世界大戦中ブレトンウッズ会議が開かれ、ブレトンウッズ体制という通貨体制が出来上がります。当時アメリカは戦場になっておらず、かつ金の保有量が一番多かったんですね。戦争中は武器等を買いますよね。その購入先がアメリカで、金を払っていたわけです。当然アメリカに金が集まっていきます。まさに経済の中心ですね。こうして経済的にアメリカは強くなり、ドルを基準にした通貨体制が出来上がっていきます。



そして、さまざまな国もこの体制に加わることで、ドル・金本位制が出来上がります。当時の日本円は1ドル=360円です。これによって、ドルに対していくらかという価値を決めていったので、相場が固定されていきました。固定相場制になるわけです。



で、第2次世界大戦後は、復旧が待っていますよね。ヨーロッパにドルをばらまき、マーシャルプランを推し進めていくわけです。そこで、金融不安が訪れるわけです。さっき説明したのとおんなじパターンです。



「こんなにドル紙幣ふえて、金と交換できんのか?」
「いや、できないかもしれないぞ」
「なに、じゃあさっさと交換して来い!」



こんな感じで、ヨーロッパは金とドルを交換しろと、要求をし、もちろんアメリカはお手上げ状態に追い込まれます。そして、1971年当時の大統領ニクソンが声明を出し、ドルと金の交換を止めてしまいます。いわゆるニクソンショック。


Richard Nixon.jpg
リチャード・ニクソン[wikiより]




そして、固定相場だったものが、不安定になり維持できなくなり、『変動相場制』へとかわっていきます。現代のように、経済力によって価値が変動していくんですね。


そして、お分かりのとおり、いつでも金と交換できないじゃないかということで、現代では金本位制ではなくなっています。


 以上おわりです。





次は
  • 人格化された資本, 奴隷としての資本家
See you soon, bye :)

2011年11月10日木曜日

『資本論』の前に #3

前回からだいぶ間があいてしまいました。書くことでもないようなことを勉強していたので、書かなかったのですが
まだ資本論の前にが途中だったので続きを書くとします。


ちなみに、最近はミルの自由論を読んでいます。眠い眠い。1度読んだだけでは内容が把握できません。
ジョン・スチュワート・ミル[wikiより]
これについては、何度か読んでから書き記そうと思います。

あとは、英語をちょろちょろとやっています。受験で使うような英語をみっちりやってるわけではなくて、実際に使えそうだなという感じのものをやっています。英語で日記書いたりとか、英文を読んでネイティブにいろいろ評価してもらったりなんだりと。。。
他には、知らないことをひたすら調べたり、課題を処理したりですね。卒論に一切手をつけていないです。割と本気でやばいですね。


では本題へ。

  • 商品社会と資本主義
  • 使用価値と交換価値
  • 労働価値説
  • 貨幣の出現
以上の4点に触れていきます。


  • 商品社会と資本主義
資本主義はもうわかるよね、要はお金をいっぱい稼ごうという社会だね。お金を儲けるためにはなにをすればいいんだろうか。
  • 商品を生産
  • 生産した商品の販売
これをすることで、売り上げが出るわけです。私たちが住んでるこの世界では、ほぼすべてのものが商品なんですね。ただでもらったものもあるでしょう。でもきっとそれはどこかで生産されて売られていたものかもしれない。つまりこの世界は商品の集合体であるということです。

前回にも説明しましたが、私たち自身も商品なんですよね。資本論の中では、”社会の富は巨大な商品の集合体”であるといっています。そのため、研究はその商品の分析からするようです。

さて、商品って売り物ですよね。つまり誰かが買うわけです。誰が買いますか?それはもちろん、それを必要としている人が買うのです。商品を買い使う人、消費者にとっては、価値があるものです。だからこそ購入するわけです。簡単なことですが、覚えておきましょう。



  • 使用価値と交換価値
現代社会にももちろんありますが、昔はとくに、物々交換があたりまえでした。貨幣のない時代には、稲や、貝、塩などと引き換えに必需品を手に入れていたわけです。

着物と洋服を交換していたかもしれません。食べ物と物珍しいものを交換していたかもしれません。なぜ交換することが出来るのでしょうか。

それはつまり、その交換相手にとって、その商品に価値がある、つまり欲求を満たすのに使うことが出来るものだからです。使用価値がある、ということです。

そして、その使用価値があるからこそ、”交換価値”も存在するわけですね。それぞれの物の使用価値の大きさは違いますね。例えば、最新型で故障のないパソコンと、リンゴ1個を交換してくれますか?

99%交換してくれませんね。特殊なケースを除けばですけどね。特殊なケースについては税法なんかを勉強してみるとわかるかもしれません。

にしても、例えば、最新刊の雑誌1冊と、過去に出た雑誌5冊で交換なんてことはできそうですよね。さらに、それらを学校で使うテキストと交換してもらえそうですね。このように、商品に使用価値があることで、どんどん交換をしていくことが出来ます。
A商品・X量= B商品・Y量 = C商品・Z量
こんな関係も成り立ちますよね。量を考えてみれば、交換できるんじゃないかってことです。これも実際の生活で想像しやすいかもしれません。

のちの貨幣の出現の話にもつながるのですが、量だけでは成り立たないこともあると思います。例えば、缶詰100缶と、牛乳100本。一般家庭において、賞味期限が切れやすい牛乳と缶詰を交換できるでしょうか。価値がその時は釣り合ったとしても、時間の経過により牛乳や生鮮食品は価値が落ちてしまいますよね。これが交換しにくいケースです。そこで、やはり腐らないものが必要になってくるわけですね。



  • 労働価値説
マルクスは、おおよそのものが=でつなげることが出来るのならば、そこに”共通の何か”があるのではないかと思ったわけです。なんでしょうか。

どれも価値がありますよね。さらに、その価値はいったいどうやって生み出されるのでしょうか。

労働することによって、商品が生まれるんですよね。つまりすべてのものには労働によるものなんです。

使用価値または財は、抽象的に人間的な労働がその中に対象化されている、あるいは受肉しているからこそ価値を持つ。

と書いています。人間の労働が使用価値に含まれているということです。労働によって、商品という"形”になっているということです。労働がないと商品が生まれないですね。商品の根本には労働があるため、労働によって商品の価値が決まるとしています。こういうのを労働価値説と言います。

労働価値説は覚えておいてください。労働によって、商品価値が決まるのです。難しいことはありません。量産しているものと、職人が手間をかけて作っているものは値段が違いますよね。

たくさん作れるということは、商品一つあたりの生産時間が短いということですね。さらに労働者の負担は軽いでしょう。なぜなら機械を使用するからです。

反対にオーダーメイド、ハンドメイドのものは高いですよね。これは一つのものを作り上げるのにとても時間がかかるからです。それだけの労働を一つの商品につぎ込んでいるわけですから高いのです。

労働時間が商品価値を左右するということですね。この労働時間は社会全体における平均的な労働時間のことなので、ちんたらやっていることころがあったとしても、個別にそこだけを指すものではありません。

安いものは時間がかかっていないということだとマルクスは考えています。

そして、使用価値というのは、社会的価値がないといけないのです。つまり自分にとってだけ意味があるものでは売れないということです。誰かのための使用価値を生産しなくては商品にならないんですね。

だから売れるものを作る、というのは自分が使いたいものを作るとは違ってくるわけです。もちろん生産者も一消費者なので一致するところはありますが。

資本主義社会では儲けることが大事です。つまり"商品"を売るんです。それは誰かのために価値があるものをつくり売っているということです。仕事をしている限り、そこに仕事が存在する限り、それは誰かにとって価値があり、もとめられているということなんです。




  • 貨幣の出現
使用価値と交換価値の最後に書きましたが、腐らないものというのが必要になったんですね。腐らずに価値を保てるようなものが必要となってきたんです。貝という言葉がお金を示しているのは知ってますよね。あるところでは塩が給料のところもありました。サラリウムといってね。これがいわゆるサラリーですね。

昔は、塩や稲が欠かせないものでした。もちろん現代もですが、当時は特に。まず筆頭に挙がってくるものが食糧ですね。これが貨幣の代わりだったわけです。

でも、なにかを買いにいくのに、大量の塩や稲を持ち歩くことなんてできませんよね。疲れるし。そこで、少量で価値のある金が登場します。さらに汚れにくく壊れにくいのです。そのため、金比較と各商品を比較していくようになります。

すべてのものと貨幣は交換できますね。商品はお金でかうでしょう?貨幣を共通の価値形態としていたようです。


ちょっと長くなってしまいました。次は、内容を2点くらいにしぼって書いていきます。つぎは
  • 貨幣から紙幣へ
  • 金本位制
この2点について書こうと思います。

2011年10月28日金曜日

ボーイング787

ボーイング787今話題になっている航空機です。

これが日本で話題になっていたのは、日本の企業ある三菱重工の子会社である三菱航空機が主導で世界的に開発されたものだからです。


軽量化に成功し、燃費効率は20%も上がったそうです。

ボーイング787は開発から完成までの道のりが険しかったようです。スケジュールの遅延が多々あり、開発責任者の更迭、トラブル、労組のストなどさまざまな障害が。。。

更迭っていうのは、役職の入れ替えです。この場合だと、副社長が開発責任者だったのですが、その地位を降ろされ、他の人が開発責任者に変わったっていうことです。

役職を降ろされてしまったんですね。

テロなのどの背景からも、コストはなるべくかからないようにしたいということで、以前は速度を追求していたようなのですが、効率重視にシフトしたようです。


そして、かなりの部分に採用されているのが、 炭素繊維複合材料というものです。これは、できるだけ純粋な炭素で作った繊維と、樹脂を混ぜて作るもので優れものです。
強度は、鉄の10倍。重さは鉄の4分の1です。なんとなくわかると思いますが、すごい技術はすごくお金がかかります。コストは鉄の10倍だそうです。



  • 日本企業の活躍
そして、日本の企業の技術が採用された背景には、この材料が採用されたということにあります。この炭素繊維複合材料というのは、アメリカなども開発していたのですが、日本の方が優れていて、そこが評価されたわけです。

日本の技術力が優ったんですね。

その結果、三菱重工をはじめとする様々な企業が主翼などを担当することになりました。 日本が機体のなんと35%をたんとうしているんですね。

これはとてもすごいことです。なんだ半分もいかないのかと思いますが、これは国際的な共同事業なのです。

世界的な事業で、みんなで作り上げていったものなんですね。その中で35%、しかも、世界最高の技術がつまった機体なのです。



  • この先は一体どうなるんだ
本当に日本は技術力がすぐれているんですね。あとはうまく売りさばくだけなんですけどね。

コストが下がれば、研究開発費もおとせるんですかね?でも人件費はなかなか落とせないですよね。そうすると開発コストの比率が増えますね。

ちょっと心配なのが、デフレは物価がさがることをいいますよね。商品が安くなります。資本論の延長で考えると、私たちも商品です。

となれば給料はさがるのが必然でしょう。しかし、正社員の給料を堂々とさげられるわけがないですよね。そうなった場合、どうしますか?
正社員の首切り、派遣労働者を使って、コストをうまくコントロールという形にならないでしょうか。まだまだ勉強不足でこんな感じのことしか言えませんが、今はこう考えています。

なんだかアメリカみたいになってきてる気がします。アメリカはデモが起きていますが、社会主義はあんな風にはじまっていくんですかね?


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2011年10月26日水曜日

『資本論』の前に #2

今回は『資本論』の中身にも微妙に入っていきます。次回から、中身にしっかり入っていきます。ちなみに、『資本論』を読みながら進めているのではなく、その解説書を読みながら進めていきます。

そのため、しばらくは『資本論』の前に というタイトルになっていると思います。


で、今日の内容は
  • マルクスについて
  • 共産党宣言
  • マルクス・レーニン主義
  • 『資本論』の要約



だよ





  • マルクスについて
もみあげとヒゲが一つになり、ライオンみたいな彼がマルクス。



マルクスは、1818年のこどもの日うまれです。かれはプロイセンでユダヤ人の家庭に生まれます。


歴史が苦手なので、詳しいことがわかりません!!これもまた勉強するので、今は各自調べていただきたい。


1824年にキリスト教に改宗しているようです。改宗ということは簡単なことではないと思うので、旧約聖書、新約聖書ともに読み込んでいると思われます。どうやら聖書を読んでいたからでてきた論理もあるようです。


そのため、わかりにくい用語、しらない用語が出てきたり、訳しにくい、もしくはしっくりこない語訳がされている場合があるようです。


かれはボンボンの家に生まれ、なんと、ボン大学に進学します。


笑うところなので、しっかり笑っておきましょう。あんまりおもしろくないのはわかっています。



  • 共産党宣言

親友エンゲルスは資本家です。以前にも紹介した資本家ですね。お金持ち、生産手段を持つ人です。彼にマルクスは援助してもらうことになるんです。

口にモップ、またはほうきをつけている彼がエンゲルス。

そして、色々図書館で勉強を重ね経済学を研究していくのです。


1848年、マルクスとエンゲルスで『共産党宣言』を発表。この頃日本は江戸時代

これで、資本主義の批判をしています。1859年『経済学批判』を出します。


共産主義の類義語に社会主義があげられるようです。定義の視点が少し違うようで、まったく同じではないのです。ですが、似たようなものと覚えておいてください。

資本主義をひっくり返そうという運動が起こり、「国際労働者協会」なるものができあがります。




  • マルクス・レーニン主義

1917年ロシア革命がおきました。レーニン(ウラジーミル・イリイチ・レーニン)が『資本論』をよみ、社会主義が必要だと革命を起こします。
こやつがレーニン。なんだか偉そうな顔してます。とりあえずイケメン。


ウラジーミル・レーニン





彼の父親は著名な教育者であり物理学者です。貴族に列するようでした。レーニンも当然貴族です。っぽい顔してるもんね。


でも、父親は偉いことに、息子に奴隷や貧困問題を息子達にしっかりと伝えていたんです。いい父親。で、息子たちは全員革命家です。




階級制度や貧困問題に嫌悪を抱いていたため、社会主義を目指すことになるんだと思います。これも社会主義を説明した内容を思い出せば納得がいきますね。




さらに思い出して欲しいのは、資本論で言われていたのは、行き過ぎた資本主義、つまりかなり発展したさきに資本主義が起こるとかんがえられていたのです。


しかし、1917年のロシアはどうでしょう。資本主義は発展していなかったのです。ということは、マルクスの想定した社会主義とは違うものなのです。豊かな経済の中で社会主義が発生するはずが、そうでない状況で発生したのです。


 革命を起こすのは、大きな会社で働き、ともに仲間になっていくような労働者を想定していました。資本家ではなく労働者です。


このロシア革命のときは、インテリどもが起こしたんですね。労働者のことなんて分かっていない人たちです。労働者による革命が想定されていたはずなのに。。。

その結果、労働者は、インテリにしたがっていればいいのだという構図ができあがります。インテリ軍団が当時の共産党であり前衛党です。前衛、前にいるってことですね。この流れから誰が先頭をきっているのかわかりますね。インテリ軍団です。共産党の言うことだけきいとけや!っていうモデルが広まってしまうのです。

共産党宣言ではまず最初に民主主義の獲得を唱えていたようです。これは現在ではたくさんの国で実現されていますね。『資本論』でも民主主義を目指すべきだとしていたようです。レーニン以降の時代では民主主義は実現されていません。


社会主義の悪いイメージばかり出てきますが、それは状況によりけりですね。ベネズエラではチャベスと言う人が民主的な選挙、みんなにえらばれて社会主義制度の実現をしています。みんなで選んでいる国もあるんですね。

  • 資本論の中身の要約
労働があらゆる富の源泉。
資本家は労働力を買い、生産し、販売し、利益を上げ資本を拡大
競争は激化し、恐慌が。
大工場ではたらく労働者が組織行動をみにつけ、革命へ。


こんな感じのようです。
前もこんなようなこと書いた気がします。

恐慌とは、経済的な危機だと覚えてください。マルクスから言わせれば、資本主義の矛盾というやつらしいです。資本主義の矛盾も説明しました。

競争が激しくなるともっと売りたいとみんなが思うんです。そうすると過剰に、無駄に多くの生産がされることになります。効率的に生産しないとだから、機械がいるね。人はあまりいらなくなるね。

人がいらないなら失業してしまうね。そうするとお金がなくなる。買えなくなる。いっぱい商品売りたいのにうれなくなる。

っていう流れのことだと説明しました。こういう危機に陥り、団結して動くことを覚えた労働者たちが、その格差、不平等を打破するために革命を起こすと考えられていたのですね。


本日は以上です。

2011年10月25日火曜日

『資本論』の前に #1


これから、資本論を読み進めて行くことにしたので、資本論について取り上げて書いて行きたいと思います。ちょっと長いかもですね。

相変わらず書きすすめるのがど下手で申し訳ない!!



今回は導入ということで

資本主義主流 → 社会主義・資本主義 → 資本主義主流

という流れがあるので、そこらへんを説明して行きたいと思います。一応簡単に、なるべく説明を多くして書いてみました。大学生はわかってあたりまえの内容なので、読まなくてよいかも。高校生がんばれ


『資本論』

誰が書いたか知ってますか?高校生なら学ぶことですね。まだ知らないって人は、これから学びます。ちなみに、現在大学ではマルクス経済学はほとんど教えられていないようです。

前回の記事で書いたと思いますが、資本主義から社会主義へという流れになるとされています。しかし、資本主義のその先に待っている社会主義が失敗に終わった歴史があります。そのため社会主義を唱えたマルクス経済学は間違っているのではないかとされ、教える大学が少なくなって行ったようです。



すこし解答が伸びてしまいました、というか、途中で出てきてしまいましたが、『資本論』の著者はマルクスですね。 




マルクス、マルクスですよ、覚えてね。


はい、じゃあ最初は、資本主義と、社会主義の説明からしましょう。

資本主義
これは、利益を追求することを目的としています。
商品の売り上げ − 商品を作るのにかかったお金 = 利益(得したお金)

利益っていうのは、得したお金をさします。これはわかりますよね。とにかく儲けようという社会を目指していました。


例えば、ちょっと会社を想像して見てください。 社長がいて、工場で働く人がいます。

  社長   = 資本家
工場で働く人 = 労働者 


 この場合、工場の機械を持ってるのは誰でしょう??



一番えらい社長ですね。つまり、生産(ものを作り出す)手段・機械を持っているのは、社長です。このように、生産手段を持っている人を資本家といいます。


そして、工場で働く人は、じぶんの労働力を商品として社長に売り込むのです。そして、お給料という形で自分を買ってもらうわけです。工場で働く人は、生産手段をもっていませんね。
生産手段をもたず、自らを商品として、労働力を提供し、賃金を得る人のことを労働者といいます。


この資本家と労働者で、利益を得て行くような社会が資本主義社会なのです。儲けましょうってことです。儲けようとすれば、お店同士競い合いますね。いまの日本やアメリカが資本主義です。ほとんどのくにがそうなんですね。


日本は、世界で唯一成功した社会主義といわれている国なのですが、それはとりあえず置いておきましょう。



社会主義

資本主義とよく対比されますね。社会主義っていうのは、平等な社会です。資本主義のように資本家や労働力という関係ではなく、商品は計画的に生産し、自由に競争することのない社会です。

いってみれば、どれだけ頑張ってもみんな平等。いくら怠けても頑張った人と同じ給料。競争がないんです。首になることも、ありません。


なーーーーんにもしなくたって、お金が手に入ります。だったら、お金だけもらってあそんでくらしたいですよね。競争がないってこういうことです。

頑張っても頑張っても報われない世界なんてやりきれないですよね。だったらみんな頑張ることを放棄して、諦めてしまうので発展は望めないでしょう。競争のない社会ととりあえず覚えておきましょう。



はい、両方説明しました。今後は、おそらく説明しないので、なんとなく覚えておきましょう。まず、マルクスが資本論を書いていた当時は、資本主義だったようです。とにかくもうけろって社会です。さらに、労働者の権利なんてないようなものでした。過酷な労働をさせられていたということですね。


これはとっても辛いですよね。給料も少ないし、めちゃくちゃ疲れるのに、延々と働かされて、雇ってくれる人には大事にされません。


これが資本主義です。ここで、マルクスの『資本論』に基づいた、マルクス主義というのが出てきます。これに従っていけば、行く末は、社会主義になります。


このマルクス主義者が社会主義を目指して活動して行きます。社会主義はがんばっても報われない世界、競争のない社会、平等な世界です。過酷な労働を迫られたら、社会主義が眩しくみえますよね。辛いのは誰だって嫌なはずです。


そこで社会主義を推進する活動がおこります。ただ、そうすることでいままでお金持ちであった資本家がだまっていません。

せっかく楽して金儲けできているのに、社会主義になったら台無しです。お金は平等だし報われないしと散々です。なぜ社会主義が推し進められようとしているのでしょうか?      



資本主義における労働者になってみればわかります。労働条件が悪すぎるからです。そこで、資本家たちは気づきました。労働者をないがしろにしすぎたと。もっと大事にして、いろいろ保証してあげることで社会主義革命は収まるのではないかとがんばったわけです。


そうすることで、社会主義革命が抑えられました。第2次世界大戦のあとにおきた東西冷戦における西陣営は労働者の保障をする資本主義社会になりました。


イギリスにおいては「ゆりかごから墓場まで」というほど、一生を安心して暮らせる制度を確立しています。医療だってみんなで負担し合う保険制度ができあがります。労働時間も制限され、今のような労働法の内容が仕組みとしてできあがってきました。


それだけのことがしてもらえるなら、まあ革命なんぞおこさなくてもとなってきたわけです。


一方で、東陣営は社会主義を進めて行きます。計画経済で、お偉いさんが生産量を決めて、商品の生産をして行きます。どれだけがんばっても、給料は同じです。質は落ちていくでしょう。さらに、お偉いさんの商品よりいいものができたりしたら、消費はそっちに偏ります。


どんどん偏って、経済学はうまく成り立ちません。売れない方には不満がでてきますが、政府が弾圧をして行きます。捕まえて文句を言わせないように統制して行くのです。


しかし、より多くの人が不満を持てば政府も抑え切れません。次第に社会主義は崩壊して行くのです。その結果、ソ連の解体がおきます。


それまで東西で別れていた西ドイツ、東ドイツがひとつになり、ドイツになるわけです。こうして、社会主義の国は少なくなって行き、資本主義になりました。




新自由主義

資本主義の方が優れているように見えますよね?なにが良かったのか。
競争社会ですから、よりよいものを作り出すようになり、競い合い発展して行ったわけです。自由主義っていうのは、自由な社会です。なにがあっても自己責任。規制がないんですね。


資本主義にしておけば、市場が、人々と会社の活動がうまくいくじゃないかと強く思い込んで行くんです。貴重なものって、高くなっていき、簡単にはかえなくなりますよね。どこにでもあるようなものは稀少ではないので、とっても安く売っています。


つまり、市場、私たち自身が勝手にちょうど良く値段設定をし、勝手に調整されて行くんだ。だから資本主義による競争が大事だということになります。これこそが正しいと確信するわけです。


そうなると、競争激化がおこり、また労働者の権利がなくなって行き、資本論が書かれた当時のひどい資本主義に戻って行ってしまうのです。




世界で唯一成功した社会主義
日本はこうよばれています。資本主義社会であることはわかりますよね?働いた分だけお金もらってますもんね。

ですがその一方で、成功した社会主義とも言われているのです。競争のない、平等な社会とも言われているのです。

一体どういうことなのでしょうか。難しく考えることはありません。半分社会主義、半分資本主義です。

二つのものをミックスするということは、基本的にはいいとこどりするってことですね。つまり

・競争社会であり、発展が望める
・社会保障など、所得の分配による調整がある

簡単にはこれですね。資本主義ですが、格差が少なく、よい社会だったということでしょう。戦時中刑務所に入れられていた学者たちは、マルクス経済学者が多かったようです。戦後は開放され、その学者たちが経済学部でマルクス経済学を教えるようになり、政治家になることで、マルクス経済学的な、社会主義チックな思想が入っていきます。


これによって、労働者をこき使ってはいけない、大事にしようという形になります。そのような制限を設けるような政治家たちが増え、コントロールすることになるのです。そのような一面が社会主義とも言われたようです。

最近までは定番であった、終身雇用制は知ってますよね。定年退職するまで安心して働ける制度です。首にならないので、頑張らなそうなものです。ですが、安心できる環境で大事に守られている、かつ競争社会でもあるので頑張ろうという気持ちにもなったのです。会社が儲かれば給料は増えますしね。


終身雇用によって、会社に愛着を持ち、会社のためにがんばって働くようになるのです。自分の会社に愛着もてば、がんばれるし、大事にしますよね。これが、成功した社会主義といわれた内容です。バランスが良かったってことです。 


ちょっと『資本論』にもどると、いきすぎた資本主義の成れの果ては、社会主義だといいましたね。 ちょっと前の記事も踏まえると、TPP参加が実現したらより競争が激化、デフレの進行と経済が悪化していきます。

大変な格差がおき、社会主義、そんな社会がまた訪れてしまうのではないでしょうか。ぼくは社会主義は嫌です。平等はいいことだと思いますが、がんばっても、がんばっていない人と差がつかないのは嫌です。だれもが成長志向を失うことでしょう。


勝ち負けや、順番が決まるから負けたくなくて頑張るんです。勝ち負けがない場面でがんばったりしないでしょう?頑張らないと、一生懸命に頭を使って、何かをしないので、発展なんてしません。面白いものなんてできやしません。そんなつまらない社会は嫌です。


話がそれましたね。ですが、じぶんはどんな社会がいいのか、しっかり考えて、これからの社会で立場を確立して行ってください。社会主義でも構わないと思います。とにかくしっかり考えて、選挙に参加しましょうね。



<冷戦>
今回は省きます。またあとで時間あったら書くね。


ちなみに、今回は『資本論』を読んでいるわけではないので、 実際のものと順番があっているのかどうかわかりません。

超訳されたものを読もうと思っていたのですが、どうも読みにくい、意味が違うなど様々のことが言われていて、なにを読んだらいいのかわかりません。

なのでとりあえず、ある程度資本論について紹介している本から勉強して、そのあとで、『資本論』を読み進めていきたいと思います。

それまではしっかり読み進めて行くための準備として、ここに記していきたいと思います。